2022年8月 今月の心のビタミン

今から20年ほど前、渋谷のBunkamuraで、フランスのオルセー美術館所蔵のジャン・フランソワ・ミレーの「落穂拾い」や「晩鐘」が展示され、観に行きました。

ミレーは1850年代に活躍した写実主義絵画を代表する画家です。彼は特に、労働する農民の姿を聖書や古代文学に語られる人間の労働の根源的な意味と重ね合わせて絵を描きました。

「落穂拾い」の絵では、下を向いた女性たちの顔の表情までは読み取れないのですが、夕日を背に向けて、腰をかがめて落穂を拾う彼女たちの姿は、とても尊い印象を受けるものとなっています。働く姿を題材にしているのに、心がなごんでしまうのは、親しみやすい画面の中に、労働する人々の尊さを見るからかもしれません。

「落穂拾い」と聞いて、クリスチャンならすぐに旧約聖書のルツ記を思い浮かべるでしょうが、ミレーの時代も、農村では落穂を拾う姿はよく見られた光景でした。刈り入れの後、貧しい人々や寡婦(やもめ、未亡人)たちには落穂拾いの権利が認められていたのです。そのため農夫たちは、しばしば全部をきれいに刈り取らず、わざと落穂を残して、そうした人たちが困らないように配慮したそうです。

旧約聖書の中で神さまが、やもめ、みなしご、在留異国人などの、貧しく弱い人たちのために落穂拾いの特権を定められてからミレーの時代まで、3千年以上も、落穂拾いに代表される貧しく弱い人たちへの配慮に満ちた人間の在り方が続いてきたのですね。

しかし、ミレーの時代からわずか150年しか経っていない時代、落穂拾いに表わされるような優しさ、思いやり、温かさなどに満ちた人間の在り方は、どこかへ消え去ったかのようです。

ミレーの時代に、インターネットもスマホも、テレビも飛行機も自動車もありませんでした。現代に比べれば、不便な時代と言えるかもしれません。しかし、ミレーの「落穂拾い」に多くの人が心惹かれるのは、貧しくとも、温かく、思いやりに満ちた人間社会への郷愁なのかもしれません。

聖書の教えは、現代に生きる人たちには時代錯誤に聞こえる部分もあるかもしれませんが、人は皆、心の奥底では、聖書に描かれている愛やあわれみ、優しさ、思いやり、誠実、柔和、温かさに、惹かれるのではないかと思います。

あなたも、この聖書の世界に目を向けてみませんか。

聖書のことば  彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若い者たちに命じた。「彼女には束の間でも落ち穂を拾い集めさせなさい。彼女にみじめな思いをさせてはならない。それだけでなく、彼女のために束からわざと穂を抜き落として、拾い集めさせなさい。彼女を叱ってはいけない。」(旧約聖書・ルツ記2章15~16節)