ごあいさつ– Greeting –

ごあいさつ(牧師:矢吹徹)

1961年、東北有数の温泉地、福島県の飯坂温泉に生まれる。

キリスト教信仰とは無縁の家庭に育ったが、大学生の時に信仰を持った長兄に連れられ、小学5年の時に初めて教会へ行く。

高校2年、17歳の時に洗礼を受ける。

進学した千葉大学では障がい児教育を学び、養護学校教諭と小学校教諭の免許を取得する。

大学時代は同窓のクリスチャンの友人たちと信仰を育み、卒業後、教員になるか牧師になるか真剣に悩んだ末に、神学校へ進み、牧師になる決意をする。

1988年、聖書神学舎(現、聖書宣教会)を卒業後、大阪府貝塚市の福音交友会・貝塚聖書教会で6年間牧会し、その後、栃木県宇都宮市の保守バプテスト同盟・宇都宮聖書バプテスト教会での牧会に移り、約30年経過し、現在に至る。

1989年、妻、綾子と結婚。1993年、長女、まりあが誕生。綾子は現在、聖書宣教会教会音楽科教師として教会音楽教育に従事し、まりあは社会人として東京に在住している。

趣味は落語と釣り。落語は趣味が高じて、キリスト教会や老人介護施設などから声をかけてもらい、年に1~2度、下手の横好きの落語会を催している。

私が教会に来たキッカケ(Nさん)

私は十代の頃から自分には何かが足りないと感じていました。何かに夢中になれば、その足りなさを埋められると思い、中高は部活動に熱心に取り組みましたが満たされませんでした。社会人になり、結婚し、家庭を持ち、やりがいのある趣味や仕事に出会えれば足りなさを埋められると思いましたが、満たされることなく40代を迎えました。

ずっと健康だけには自信があり、人生80年、十分に生きて死を迎えるのだろうと思っていましたが、治療薬のない病にかかり、長期入院しました。40年も先にあると思った死は、そんなに遠くないうちにやって来ることを知りました。人前では努めて明るく振る舞いましたが、心の中の暗闇の深い穴の中で、「誰か助けて!」と、のたうち回っているようでした。

人はいつか死ぬことは分かっていましたが、病が治らないと知り、本当に私はひとりだと感じました。そして、すべてを受け入れ、この日を生きる勇気を誰かに与えてほしいと願いました。

入院する前に、テレビでも放送され、本も出版されている、実在した女の子の話を思い出しました。不治の病を発症した女の子が、イエス様に出会い、信じ、祈り、家族や周りの人たちに、たくさんの優しさと思いやりを与え、わずか7歳で召されていった姿に、心が揺さぶられました。そして、私を助けてくれるのは、お釈迦様や神社の神様ではなく、もっともっと大いなる存在なのではないかと感じました。

そんな時、友だちが見舞ってくれ、「教会でバザーがあったのよ」と、教会の話をしてくれました。その友だちがキリスト教の教会に行っていることを知り、すぐに、「私も行きたい」と伝えました。本当の神様に助けてほしかったのです。

金曜日に行われているウィークディチャペルに出席するため、初めて教会へ行きました。牧師が祈りの中で言った、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」という聖書のことばを聞き、私は安心しました。私に足りなかったのは本当の神様だと思いました。

ヨハネの福音書9章に書かれている、イエス様が盲人に語ったことばも私を助けてくれました。

弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。(ヨハネの福音書9章2~3節)

病になったことは、神様に出会うチャンスになったのだと信じ、今は感謝しています。

やがて教会生活を続け、聖書を読み進めていく中で、自分が罪を持って生まれてきたこと、そして、その罪は自分ではどうすることもできず、イエス様の身代わりの十字架によってのみ赦され、救われるということを知りました。そして、イエス様に重荷をおろせば、休ませてもらえるという、教会に来て最初に出会った聖書のことばが、本当の意味で分かるようになりました。

病は担当医が不思議に思うほどに改善され、完治はしませんが、元気に過ごしています。

牧師の支えや、一緒に聖書を学びをしてくれた友だちに感謝しつつ、バプテスマ(洗礼)を受ける決心が与えられ、感謝と喜びの中でバプテスマ(洗礼)を受けることができました。

私が教会に来たキッカケ(Yさん)

私は、物心つくようになってから、いろいろな事を常に考え続けてきました。

人間とは一体何のか?、なぜ私みたいな者が生まれて来たのか?、意味もなく生まれ死んで行くのか?、飢えた人と豊かな人、健常者と障がい者、いろいろな能力を持った人とそうでない人、なぜこんな不平等があるのか?

また、宇宙の果てには一体何があるのか?、科学が発達すれば、すべての物の成り立ちについて説明がつくのだろうか?など、この世の矛盾や不思議な事について、いつも考え続け、いろいろな書物も読みました。

そして、少なくとも人間の力で解決できるものは、そうすべきだと思い、社会福祉的な仕事に関心を持ち、その仕事に就こうかと思ったり、社会主義を学ぶサークルに入ったりしました。しかし、これらによって、すべてが解決されるものでもないということが分かりました。

結婚して子どもも与えられましたが、やはり、いつも心の中に満たされない思い、人生に対する疑問が残っていました。

「聖書の学びをしませんか」と訪ねて来られた方と、数か月間、ある本で勉強をしましたが、あまりピンと来ませんでした。

一応幸せそうに見えた結婚生活でしたが、あるトラブルが生じ、周囲の人々はなんて冷たいのだろうと思いました。そんな時ふと、「神は愛なり」ということばが浮かんで来たのです。それは、近くの教会の看板に書かれていた聖書のことばでした。そうだ、絶対的な愛を注いでくださる神様がおられるのだと思いました。

それから教会の門をたたき、通い始めました。こんな世界があったのかと驚かされました。自分の罪深さを悟らされ、イエス様を信じて救われたいと思いました。

一年半ほどして東京へ転勤となり、転勤先の近くの教会に通うようになり、そこで、愛の章と呼ばれる新約聖書・コリント人への手紙第一13章からの聖書の学びを続けていただき、信仰へと導かれました。

このような罪深い者をあわれんで赦してくださり、永遠のいのちへ導いてくださるのはイエス・キリストであると信じました。そして、イエス様によって、人生の諸問題も解決されるであろうと思いました。

教会の歴史

1975年 開拓開始。

宇都宮聖書バプテスト教会は、1975年にアンセル・マリンズ宣教師と八木保広牧師の共同牧会によって、栃木県最初の保守バプテスト同盟の教会としてスタートしました。

<マリンズ宣教師ご夫妻>

<八木保広牧師ご夫妻>

           

1979年 小山バプテスト教会開拓。 小山市での開拓伝道に着手し、小山バプテスト教会の礎を築きました。

1982年 最初の会堂を献堂。

1990年 無牧時代(1994年6月まで)。 4年に及ぶ無牧時代に入り、一時は教会員数名という状態になりましたが、保守バプテスト同盟の諸教会、諸先生方に助けられ、困難な時代を乗り越え、1994年に矢吹徹牧師を迎え、新たな歩みをスタートさせました。

1994年 矢吹徹牧師就任。

1999年 新会堂献堂。 新会堂を献堂し、さらに2009年にはパイプオルガンを奉献し、宇都宮市で唯一パイプオルガンを有するプロテスタント教会として音楽伝道に力を注いでいます。

<新会堂献堂式>

パイプオルガン奉献>

2005年 教会墓地献墓。

<イースター墓前礼拝>

2015年の創立40周年記念礼拝ではマリンズ師、八木師をお迎えし、3人の歴代教職者が勢揃いしました。40年以上の歴史の中で、教会はいろいろと変化しましたが、永遠に変わることなく、常に真実であられる神は、愛といつくしみをもって教会の歩みを導いてくださいました。

現在、教会には幼稚園児から87才まで、幅広い年齢層の方々が集い、男女比もほぼ1:1で、まさに老若男女が集う教会となっています。 

地域の方々に愛され、親しまれ、喜ばれ、用いられるコミュニティーチャーチを目指す私たちは、通常の主日礼拝、祈祷会、学び会、家庭集会等の他、ピアノ教室や書道教室などの各種教室を通して、地域の方々が教会に足を運びやすいようにと門戸を広げています。

ぜひお気軽に教会をお訪ねください。