K.Iさんは、長崎県の島原地区で代々医者をしてきた家の7代目。地元で“I家”と言えば、医者の代名詞です。「地域社会で期待される役割、責任も意識させられる」というK.Iさんが、ご自身の信仰の見える形としてチャペル付きの産科・婦人科医院を開設した背景には、1990年にすい臓がんで急逝した先代院長で父親T.Iさんの40年にわたる求道生活がありました。
医学生当時、奇跡的に長崎の被爆を免れたT.Iさんは、京大で学ぶため、クリスチャン医師の伯父宅に身を寄せ、聖書に出会います。被爆直後、救急医療班として被爆の惨劇を肌で体験した医学生のT.Iさんに、聖書は何と語りかけたのでしょうか。医師として帰郷し開業した後も、診察の合い間に教会に通い、晩年は牧師の訪問で家庭集会を続けました。
息子のK.Iさんも医学生時代に福音に触れ、中絶から胎児を守る「小さないのちを守る会」の会員となったクリスチャン医師ですが、父親のT.Iさんも「息子に従い、中絶はしない」と賛同、ともに働くチャペル付き医院の構想を抱いていました。その思いは、没後3年目に実現に至りました。
医院の一日は、ナースステーションの祈祷会から始まります。看護師や職員全員がクリスチャンというわけではありませんが、今はK.Iさん夫婦に娘さん家族が加わり、医院全体に温かな雰囲気とクリスチャンの練られた品性、そしてイエス・キリストの香りが漂っています。
この医院では「小さないのちを守る会」を通して、これまで幾人もの新生児を養子縁組しています。「陣痛によって救急車で運ばれる急患の方とかで、よくよく話しをきいてみると、父親の男性とは結婚できないし、子どもも育てられないというケースがあって・・・」。中絶しようとしている妊婦さんと向き合う機会を失わないように、表向きには中絶しない医院であることは明示しないようにし、中絶を希望する患者さんともじっくり話し合う時間を持つようにしています。
K.Iさんを医学生時代から知る「小さないのちを守る会」の前代表の方は、「K.I先生は生命を通して社会と触れ合っている。医療と伝道を一つに考える人。」と語っています。新生児は祝福壮行会で「九州小さないのちを守る会」の牧師らに祈られて養子先に医院から送り出されます。式には、産みの母親や、親族まで出席することがあります。「私も全国で壮行式を行うけど、産みの母親が出席するのはK.I先生のところだけ。産みの母親がI家でしばらくお世話になったり、看護師さんが赤ちゃんとの別れに涙を流し、お土産を持たせてくれたり・・・、あの医院の方たちは失われかけた生命の回復の現場で、神様の臨在に触れているんですよ。」と、前代表は語っています。
根深い禁教の歴史を持つ地域に、医師として築いてきた信頼を担って医療と伝道に向き合い、「地域医療を通して神様の愛と生命の尊さを伝えていきたい」と語っているK.Iさんは、医学生時代に宇都宮聖書バプテスト教会で信仰に導かれた方です。信仰がその人を変えるだけでなく、家族や周りの人も変え、失われたかもしれない多くの生命を救うことにつながっているということに、神様のなさる驚くべきみ業と恵みを感じます。
聖書のことば あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。 私は感謝します。 あなたは奇しいことをなさって 恐ろしいほどです。 私のたましいは それをよく知っています。(旧約聖書・詩篇139篇13~14節)
