毎年12月には、近くにある通所介護施設(ディサービス)のクリスマス会に出かけます。
今年は、恒例となっている私の落語の他、数年ぶりで腹話術ができる教会の女性の方が同行し、賑やかなクリスマス会となりました。
腹話術では、内容の面白さに笑い声があふれ、歌を歌う場面では、「口を開けないのにどうして上手に歌が歌えるの?」と、皆さんが感動の声を上げていました。
私の落語は、ご年配の方なら誰もが知っているであろう「饅頭こわい」を現代風にアレンジしたもので、笑ってもらえるかなぁと心配していましたが、思ったよりも笑い声が聞こえてきて安心しました。
私も腹話術の方も素人で、堂々と人前で披露できるようなものではないのですが、介護施設の方が招いてくださり、80代、90代、そして今日は、最高齢100歳の方を笑顔にする機会を与えてもらい、本当に感謝なことだと思いました。
クリスマス会の最後に、皆さんと一緒にクリスマスケーキを食べた時、施設の利用者さんが声をそろえて、「ケーキも美味しいけど、一人じゃなく、みんなで食べるから美味しいんだよねぇ」と話しておられたのが印象的でした。
歳を重ね、配偶者を亡くし、子どもや孫も遠くで暮らし、一人でいる時間が多くなった方々が、週に何度か施設を利用し、お仲間と一緒の楽しい時間を過ごす。そのようなことが生きる力になったりしているのかもしれません。
イエス・キリストのご生涯が記されている福音書を読むと、イエス様がいろいろな人と食事をしていることに気づきます。
その中の一人、取税人のザアカイは、イエス様が自分の家に来て一緒に食事をしてくれたことに感動し、今までしてきた悪いことを悔い改め、その生き方を180度変えました。取税人は当時はみんなに嫌われる仕事で、ザアカイは、彼の家に来てくれる人も、一緒に食事をする人もいない孤独な毎日を送っていたのです。そんなザアカイのところに、神の御子であるイエス様が来てくださいました。
誰かが一緒にいてくれるというのは、なんと心強いことでしょう。その一緒にいてくれるお方が神様だとしたら、なんと幸いなことでしょう。
あなたのそばに誰もいてくれないと思うような時でも、神様はあなたと一緒にいてくださるお方です。そのことを信じる時、私たちは言いようのない孤独感から解放されるのです。
聖書のことば 見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(新約聖書・マタイの福音書28章20節)