先月、9月17日には敬老礼拝が行われました。毎年、敬老の日に合わせて敬老礼拝を行い、教会に集っておられる75歳以上の方々にプレゼントを贈っています。
今、教会の礼拝に出席しておられる75歳以上の方々は皆お元気で、これから先、10年、20年と、神様の祝福の中で長生きされるのではないかと思っていますが、人の生命に関しては、若いから安心、お元気そうだから安心というわけにはいきません。いつ、どのような形で、別れの時が訪れるのか、誰にも分からないからです。
〇〇ロスということばがあります。ペットを亡くした人が陥るのがペットロスで、家族のように暮らしてきたペットとの別れに伴う悲しみとストレスから精神疾患に陥り、さらにそれが身体症状に現れるというのですから、ペットを失うことを軽々しく考えることはできません。好きな芸能人が結婚したり、引退したりすると、ファンは喪失感で仕事が手につかなくなったり、食事が喉を通らなかったりしてしまうそうですから、これもまた、ばかにすることはできません。
イエス・キリストがよみがえった後、40日後に昇天し、弟子たちの前からいなくなった時、弟子たちが感じた喪失感はことばでは表せないものだったと思います。しかし不思議なことに、キリストロスには陥りませんでした。それは、昇天したキリストの代わりに、聖霊なる神が降って来られたからです。
聖霊なる神は、今もキリストを信じる者とともにいてくださり、私たちがどんな悲しみや辛さを抱いても、私たちを慰め、励まし、生かすことのできるお方です。そのような聖霊は、キリストを信じるクリスチャンに、再びキリストが来られ、信者たちが永遠にキリストとともにいることができる確信と希望を与えてくださいます。それは、天の御国でキリストに会うことができる希望であり、同じように御国へと導かれた人たちと再会できるという希望です。
「もう二度と会えない」と思うと、その悲しみと辛さで、私たちの心にも身体にも不調が生じて来るかもしれません。しかし、再び会うことができる確信を抱けるなら、〇〇ロスに陥ることはありませんね。
この地上での別離は悲しいものですが、天の御国での再会の希望は、私たちを慰め、励まし、生きる力を与えてくれます。
聖書のことば 号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(新約聖書・テサロニケ人への手紙第一4章16~17節)