「苦しい時の神頼み」ということばがありますが、病気や試練に遭う時に、普段は関心を寄せてもいない神や仏にすがるということです。
その目的はもちろん、病気を治してもらうこと、試練を解決してもらうことにあります。しかし、健康であること、試練に遭わないことが人生にとって本当に一番幸せなことなのでしょうか。
ニューヨークのある病院の一室には、作者不詳の次のような詩が書かれています。
ある患者の詩
大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く、従順であるようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるように命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はあらゆる人々の中で最も豊かに祝福されたのだ。
本当の幸せって何だろう?と考えさせられる詩だと思いませんか。
仕事に、家事に、育児に、趣味に、ボランティアに、私たちはそれぞれ忙しく過ごし、いつの間にか、一ヶ月が過ぎた、一年が過ぎたというような人生を送っているのかもしれません。しかし、たった一度の欠けがえのない私たちの人生のために、ふと立ち止まって、「自分の人生に後悔はないかな」、「本当に幸せに生きているかな」、なんてことを考える日々があってもいいのではないでしょうか。
聖書のことば 苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」(旧約聖書・詩篇119篇71節)