小学生に胃潰瘍が発見されると聞いて驚いたのは、もうずいぶん前のことです。
「思春期挫折症候群」ということばがあるそうですが、大人の世界が病んでいるその影響が、子どもたちの心をゆがめ、異変を起こしているのかもしれません。
人生そのものに疲れる時期が、中年を過ぎるとよく訪れたりします。今は、それが、若者にも、子どもたちにも訪れたりしているのです。その結果、ノイローゼになり、最悪の場合、自殺にまで至る恐ろしい状況が襲ってきたりします。その原因を知るために、その人の心の奥底にある“ひずみ”に気がつかなければなりません。
人が自分の人生の意味を悟らず、生きる目的を明確につかまないままに、ただ惰性的生きているとするなら、そういう生き方は、いつかは疲労を蓄積し、倦怠にむしばまれ始める。それは、食べるものもないような時代ではなく、物質的な生活は一応満たされている時代でも、いやそういう時代だからこそ起こることなのかもしれません。
体の疲れは休息すればとれるでしょう。しかし、心の疲労には、心の奥底にある“ひずみ”にメスを入れなければ、本当の解決はないのです。
ある牧師が、自分の人生を振り返って、次のように言っていました。
人生の目的が分からない。生きている意味がない ― そんな漠然とした不安が起こった時、私が出会ったのが一冊の聖書でした。聖書は、人生の一番大きな問題にメスを入れ、本当の解決を具体的に示してくれたのです。もし、そのことがなかったら、自分はどうなっていたでしょう。流されるままに生き、人生疲労倦怠症候群に心身をむしばまれ、つまずき倒れていたに違いありません。
聖書との出会い、それは、人間の心の病にメスを入れ、癒やしてくださる名医との出会いでもあります。その名医こそイエス・キリストです。心の深みまで探り、そのひずみを根本から癒してくださるイエス・キリストは、こう語られました。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」(ルカの福音書5章31~32節)
そしてイエス・キリストは、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)と言われました。
これは、生きている意味が分からず、人生に疲れているすべての人に対する救いの招きなのです。
聖書のことば すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(新約聖書・マタイの福音書11章28節)
