聖書の中に、
律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」(マルコの福音書12章28~31節)
というみことばがあります。人間にとって、一番大切なことは神を愛すること、二番目に大切なことは隣人を愛すること、という教えです。
「神を愛すること」というのは、クリスチャンにとって分かりやすい、そして納得しやすい教えだと思いますが、「隣人を愛する」というのは、その対象をどう考えるべきなのか、難しいところです。
理想を掲げ、誰隔てることなく、すべての人に愛を注げるなら、すべての人を大切にできるなら問題はないでしょうが、私たち人間はそんなに立派な存在ではありませんし、関わり合う人の数もそれなりに限られています。また、関わり合う人たちをまったく平等に扱うことができるのだろうか、まったく平等に扱うことが大事なことなのだろうかという疑問も沸き上がってきます。
ストーミー・オマーティアンという女性が書いた「夫をささえる30の祈り」には、
男性たちは自分の優先順位のあり方について、多くの間違った考えを持っています。妻たちは皆、自分こそ夫のリストの一番上、つまり、神様の次であるべきだと感じています。しかし私は、もし妻が夫の優先順位にそのような順序を望むのであれば、彼女のリストも同じようになっているか、よく確かめるべきだと思います。言い換えるなら、あなたが夫に、仕事や子どもたち、友人たち、さまざまな活動よりも、自分を優先してほしいのであれば、あなたも彼に対して同じようにする必要があるということです。もしもあなたの人生で、神様と伴侶がはっきりと最優先になっていないのであれば、あなたの夫も、彼の優先順位をそのようにする動機が持ちにくいのです。正しい順序を守ることがどれほど大変なことか、私はよく知っています。特に、家族に小さい子どもたちを抱えている時は、子どもたちの必要は緊急で、即対応が要求されます。夫はやはり大人ですから、自分の面倒は自分で見てほしいものです。たとえ子どもがいなくても、あなたの注意やエネルギーが、仕事や家事、友人関係、大きな計画、趣味やさまざまな活動に取られる可能性は十分にあります。あなたの時間や注意を占める事柄すべての真っ只中で、夫をあなたのリストの最上から落とさないようにするのは ― 少なくとも、彼にそうされたと感じさせないようにするのは、とても大変なことです。幸いなことに、最優先事項は、いつもそれに全時間を注ぎ込まなければならないというものではありません。そうでなければ、月曜から金曜まで週40時間労働している人は誰でも、毎日少なくとも8時間以上祈らなければ、神様を仕事の二の次にしている、ということになります。それに、幼い子どもを抱える妻にとって、子どもをおろそかにせず、子どもに対するのと同じ時間を夫にかけるなどまったく不可能です。あなたの夫に関して、彼のためにどれほど長い時間を割くかが問題なのではなく、あなたにとって一番重要な人だと彼に感じさせる時間を、あなたが注意して作ることが大切なのです。
オマーティアンが書いていることを簡単にまとめるならば、
1.優先順位として、神様の次に来るのはあなたの夫であり、妻です。
2.あなたが夫に(妻に)、そのことを望むなら、あなた自身が妻を(夫を)、神様の次に大切な存在としていることが大切です。
3.それは、心に密かに刻んでおくようなことではなく、夫に(妻に)伝わるように、具体的な行動に現わすことが大切です。
となるでしょう。しかしこれは、夫婦間だけの問題ではないように思います。
独身の方もいれば、伴侶を亡くされた方もいるでしょう。そのような人たちにとっても、神様の次に大切な隣人がそれぞれにいるはずです。肝心なのは、自分が愛される存在、喜ばれる存在でありたいと願うなら、私たち自身がまずその人を愛し、大切にしなければならないということです。
そして、多くの日本人にとって苦手なことでしょうが、そのような自分の思い、気持ち、愛情を、具体的な形で相手に伝える努力をするということです。
家族の中でも、友人の間柄でも、良い人間関係は、棚からぼた餅のように、勝手に転がり込んで来るものではありません。それは、私たちが聖書の教えを土台としながら、築き上げていくものなのです。
聖書のことば あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。(新約聖書・マルコの福音書 12章31節)
